2020.01.06憲法
憲法9条は政治的マニフェストなのか
私が学生の頃、
「憲法」の教科書の定番といえば、
芦部信喜氏の著作である
でした。
「芦部憲法(あしべ けんぽう)」
と呼ばれる同書は、
芦部氏が逝去された後も、
弟子にあたる高橋和之氏が補訂しながら版を重ねています。
同書は、1993年の刊行以来、
なんと、累計104万部のロングセラーになっているそうです。
▼
私も、芦部憲法には愛着があり、
書店で最新版を見かけると、
つい気になって、パラパラと眺めてしまいます。
そんな同書の最新版:第七版の「はしがき」に、
衝撃の事実が書かれていました。
高橋和之氏によると、
第七版の補訂にあたり、
「どう扱うべきか最後まで悩んだ問題が一つ存在した」
そうです。
その問題とは、憲法9条の補訂に関するもので、
高橋和之氏が記した「はしがき」には、
以下のように書かれていました。
(読みやすく改行しています)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
実は芦部先生が最晩年に九条解釈の変更を
考えられていたかもしれないことを知ったのである。
一九九五年のある講演において、
先生は九条と自衛隊の存在という矛盾を
どう解決するかを悩んだすえに、
従来九条を法的拘束力のある規範と考えてきたが、
むしろ「政治的マニフェスト」と考える説を
検討すべきかもしれない
と述べられたという(法律時報九〇巻七号七二頁参照)。
平和主義の理念を将来にわたって
内外に発信していくためには、
九条を改正するより条文として残した方がよいという
苦渋の選択があったものと推測される。
そうだとすると、これを本書でどう扱うべきか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼
芦部氏は、憲法九条について、
「法的拘束力のない政治的マニフェスト」
という見解への解釈変更を検討していた、
というのです。
憲法九条が「政治的マニフェスト」、
つまり、「理想に向けての宣言」に過ぎないのなら、
憲法九条と矛盾する事実があっても、
“法規範としての憲法”に違反するとは、
言えなくなります。
▼
憲法9条は、このような規定です
(下線は、私が付しました)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
憲法9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼
「芦部憲法」の本文では、
自衛隊について、
「九条二項の『戦力』に該当すると
言わざるをえないだろう」
と結論づけられており、
以下のような注釈が記載されています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※「武力なき自衛権」論
本文に言う結論をとれば、
自衛権はあると言っても、その自衛権とは、
外交交渉による侵害の未然回避、
警察力による侵害の排除、
民衆が武器をもって対抗する群民蜂起、
などによって行使されるものにとどまる、
ということになる。(以下略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
▼
日本にミサイルを向けている近隣諸国もある状況で、
「民衆が武器をもって対抗すべし」
といった帰結は、
国民から支持が得られにくいかもしれない、、、
それでも、9条は残したい、、、
などと、あれこれ逡巡していると、
「政治的マニフェスト説」という
“苦渋の選択” も、頭をよぎります。
結局、高橋和之氏は、
第七版においては、
「はしがき」に芦部氏の検討状況を事実として記して
読者の参考に供するに留めたそうです。
芦部氏が最晩年に、どのようなことを考えていたのか、
気になるところです。